訊く技術
今日は1ヶ月ぶりに講座があった。1ヶ月前の内容はうっすらとしか記憶がないのだけど、毎回冒頭に前回の振り返り時間を設けて下さるので、そこでかすかな記憶を振り返ると、クライアントの視点を変えることを意図して、時間/空間の視点から訊くという内容であった。
それを踏まえつつ、今回の講座では具体と抽象について触れられた。
クライアントが具体的な話を展開したのなら、それを(必要十分なレベルに)抽象化して把握し、必要な質問を投げかけていく。
あるいは反対に抽象化された話の内容なのであれば、必要なレベルに具体化して把握していく。
この抽象化についてはコーチの脳味噌が基準になるので、相手によっては自分の技術をより一層磨く必要があるのだ。
さて講座の中で受講者同士コーチングの練習を行うのだが、1ヶ月も空くと相手の状況にも変化があって面白い。
そしてそれは自分にも同じことで、前回話した内容については時間経過によって解決された部分があるなぁ、というのに気付く。
今回話した内容は、自分の小さなプライドに関わる話になるのだが、これはより大きな視点で客観視して自分の殻を壊す必要がありそうだなぁ、と、前もって考えていたことを再確認する時間にもなった。
自分がどうしかいか、どうありたいか、と考えてみると、「何でも自分でできて壁も自力で乗り越えられる人」に憧れるのだが、世の中にそうしたスーパーマンは(きっと)いないだろうし、どの本を読んでも一人きりで達成した話なんて出てこない。ならばそれが自分であればできる、だなんて高慢にも思ってはいない。
であれば、人に相談し人の力を借りながら一緒に物事を成していく、そうした周囲と協力できる力が必要だ。これまでの自分を振り返ると、必要に応じて周りを巻き込んで課題をクリアしてきた経験はあるので、それができないとは思っていない。
ならば何が問題かというと、「自分がこれで良いと思っている事に対して、あえて周りにも相談して意見をいただく」という、”相談をする”という行為自体に目的が置かれている点なのだけど、その行為が潤滑油になることは理解できるので、あとはそれを邪魔するのが私自身のプライド、ということなのだ。
プライドを守り得られるものが大切か、相談する事で得られるものが大切か。
その答えは自分自身が知っている。
話す事で思考が進む、ってのを今回再確認した時間だった。